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12月19日 1965年の今日この日
【第三京浜道路】
12月19日 1965年の今日この日
【第三京浜道路】
世田谷―横浜間全線開通
第三京浜道路は国道466号のうち、東京都世田谷区の玉川インターチェンジから神奈川県横浜市神奈川区の保土ヶ谷インターチェンジまでの区間で、東日本高速道路(NEXCO東日本)が維持と管理を行っている自動車専用の一般有料道路。略称で第三京浜と呼ばれることが多い。
国道15号第一京浜と国道1号第二京浜に続いての東京と横浜を結ぶ京浜道路として、第三京浜道路が計画された。元々の計画は、1929年(昭和4年)5月に鎌倉急行電気鉄道が、渋谷駅から藤沢駅を通り鎌倉坂ノ下までの鉄道事業免許を取得し、その後、自動車専用道路に計画を変更したことが始まりである。また、1954年(昭和29年)3月に東京急行電鉄が、渋谷から江ノ島間に東急ターンパイクの計画をしたが、建設省による整備が決まったことにより、代わりとして田園都市線の計画に変更することになる。
1964年(昭和39年)10月6日に一部区間が開通し、1965年(昭和40年)12月19日に全線開通となる。開通当初は、一般都県道東京野川横浜線とされ国道に指定されなかった。これは当時の法令などにより国道指定が困難であったため、都道府県道とされた。しかしながら、道路の長さを伸ばすことが重視されていた時代のなか、破格なまでの幅員で建設され、日本で初めて「6車線の自動車専用道路」となる。更には、自動車専用道路として初めて全線に水銀灯の道路照明灯も設置されることとなった。今日でも交通の流れはスムーズに保たれ、出口付近以外での渋滞も少ないので便益は高い。
第三京浜道路は国道466号のうち、東京都世田谷区の玉川インターチェンジから神奈川県横浜市神奈川区の保土ヶ谷インターチェンジまでの区間で、東日本高速道路(NEXCO東日本)が維持と管理を行っている自動車専用の一般有料道路。略称で第三京浜と呼ばれることが多い。
1964年(昭和39年)10月6日に一部区間が開通し、1965年(昭和40年)12月19日に全線開通となる。開通当初は、一般都県道東京野川横浜線とされ国道に指定されなかった。これは当時の法令などにより国道指定が困難であったため、都道府県道とされた。しかしながら、道路の長さを伸ばすことが重視されていた時代のなか、破格なまでの幅員で建設され、日本で初めて「6車線の自動車専用道路」となる。更には、自動車専用道路として初めて全線に水銀灯の道路照明灯も設置されることとなった。今日でも交通の流れはスムーズに保たれ、出口付近以外での渋滞も少ないので便益は高い。
かなり先になりますが、港北IC―横羽線生麦IC間が横浜環状北線として接続予定。さらに利便性が向上すると期待されています。ちなみに港北ー生麦間はそのほとんどが地下トンネル。
港北ICのNEW出口(上り) 出口渋滞がほとんどなくなりストレスフリーに |
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