1月10日 Rockefeller ロックフェラー Standard Oil 設立

1月10日 1870年の今日この日
ジョン・ロックフェラーJohn Davison Rockefeller, Sr、がスタンダード・オイルを設立

1920年代、未曾有の好景気に沸いたアメリカは欧州列強に取って代わり、世界のリーダーに躍り出た。その原動力となったのが、巨大財閥”グレートファミリー”だった。ロックフェラーは誰よりも早く新しいエネルギー源、石油に目をつけ、石炭で動いていた世界を一変させた。ライバルをたたき潰し、その冷酷さから悪魔とも呼ばれたロックフェラー。そしてこの子供たちもまた莫大な富と名声を足掛かりに政財界に進出する。ある者は世界最大の慈善団体のリーダーにある者はアメリカ副大統領になった。またある者はアーカンソー州知事や世界屈指の銀行のトップに。
ニューヨーク・ロックッフェラーセンターのクリスマスツリー
第一次世界大戦終結後の1920年代。未曾有の好景気に沸いたアメリカ。その原動力となったのはロックフェラーをはじめとする巨大財閥グレートファミリーだった。ファミリーは新しいビジネスに乗り出し新興国アメリカを資本主義大国に押し上げた。マネーに力で産業界を牛耳ったモルガン家。死の商人から転身し新製品を次々に生んだデュポン家。発明王エジソンが設立したゼネラル・エレクトリック社。自動車王フォードは大量生産を確立させた。しから繁栄が天井知らずだった分だけ、奈落も底なしだった。1920年代最後の年。アメリカを大恐慌が襲う。それは資本主義の逃れられない宿命を世界に思い知らせる事となった。私たちはなぜ今こんな世界に住んでいるのか。これからどこへ向かうのか。百年の時を映像で追体験する「新・映像の世紀」。2回目の今日は狂乱の1920年代を動かしたグレートファミリーの野望。そこから浮かび上がるのは現在の世界を覆い尽くした資本主義というモンスター誕生の物語である。
NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第2集 グレートファミリー 超大国アメリカの出現」 
――冒頭ナレーション――

当時、アメリカ最大の成長産業は自動車。アメリカの自動車は技術革新によって10年で価格が1/3に下がり、大衆の乗り物となっていた。アメリカ中に道路が整備され、道沿いにガソリンスタンドが現れた。この急速な自動車の普及は一人の富豪を生んだ。石油王 ジョン・ロックフェラーである。1924年全米で初めて公表された長者番付ではフォード、モルガンを抑え断トツの1位だった。当時のメディアにとってロックフェラーは大統領以上のスーパースターだった。ロックフェラーは出会った人にコインを渡すのが習慣だった。「たった5セントと思うかもしれないが軽んじるべきでない。これは1ドルの年利なのです。」五大湖近くの田舎町で石油が大量に発見されたのは19世紀半ば。地下から湧く燃える水の存在は古くから知られていたが、アメリカで大規模に見つかったのは初めてだった。油田の周辺には一獲千金を夢みて男たちが集まり、手当たりしだいに地面を掘り起こした。
オハイオ州クリーブランドにあったスタンダード・オイルの第1製油所、1899年
ロックフェラーは石油の採掘そのものには手を出さず、人が採掘した石油を買い集め精製し、販売するビジネスを始めた。優秀な科学者を雇いどんな不純物を含んだ原油でも精製できる技術を開発。自社製品こそが世界標準と銘打ち設立した会社をスタンダード石油と名付けた。スタンダード石油は全米の石油産業の90%を支配、石油の富を独占した。しかし無敵のロックフェラーを脅かす出来事が起こる。景気が拡大する中、持てる者と持たざる者の格差が広がっていた。ヨーロッパでの労働運動の影響も加わり、アメリカ各地でデモが頻発していた。ロックフェラー家所有のコロラド燃料製鉄会社では9000人の労働者がストライキを起こした。会社は鎮圧部隊まで動員。この事件でロックフェラーを激しく非難したのが社会運動家あのヘレン・ケラーである。企業家に面会を取り付け労働者の待遇改善を訴えていた。しかしロックフェラーは意に介さなかった。自動車のみならず戦場では飛行機や戦車が登場していた。もはや世界はロックフェラーの石油なしには動かなくなっていた。「非難がどれほど激しかろうと我々は全世界に伝道を行ったのだ。これは間違いのない事実だ。富を築く才能は神からの贈り物だと思う。こうした能力を最大限伸ばし、人類の幸福のために役立てよと神が与えってくださったのだ。」――ロックフェラー自伝より――

ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(John Davison Rockefeller, Sr、1839年- 1937年)
アメリカ合衆国の実業家、慈善家でアメリカを作ったといわれた。スタンダード・オイルを創業し、同社は石油市場を独占し、アメリカ初のトラストを結成した。石油業界を変革し、現代的フィランソロピーの構造を定義した。1870年にスタンダード・オイルを創業したロックフェラーは、積極的な経営を行い、その後1897年に事実上引退。ケロシンとガソリンの需要の高まりと共に富も膨れ上がっていき、アメリカ人初の10億ドルを越える資産を持つ人物となった。物価の変動を考慮すると、史上最大の資産を持つ富豪とされている。





慈善活動の現代的かつ体系的アプローチの構築に引退後の40年間、資産の大部分を使った。医療・教育・科学研究促進などを目的とした財団を創設。彼が創設した財団は医学研究を推進し、鉤虫症や黄熱病の根絶に貢献。また、シカゴ大学とロックフェラー大学を創設し、フィリピンにセントラル・フィリピン大学の創設資金を提供した。


大恐慌のさなかロックフェラー家はロックフェラーセンターを完成させた。しかし期待どおりにはテナントは集まらなかった。2代目ジュニアが採算を度外視しても建設を続けたのは、資本主義の健在ぶり
を世界に示すためだった。
世界で一番有名なクリスマスツリー
そしてロックフェラー一族の理想「World Peace through Trade 自由貿易による世界平和」を巨大ビルとして形にするためだった。ビル建設によって7万人を超える労働者が職を得た。人々は仕事を与えてくれた事に感謝してポケットマネーを出し合い特大のクリスマスツリーを中庭に作った。

今はなきワールドトレードセンター

後に3代目を継ぐロックフェラーの孫も一族の理想を形にしようとしている。3代目頭首となったデイビッド・ロックフェラー(チェース・マンハッタン銀行頭取)はウォール街に2つの棟を持つ世界最大のビルの建設を計画した。一族の掲げた理想「World Peace through Trade 自由貿易による世界平和」から正式名称はワールド・トレード・センターと名付けられた。そう21世紀最初の年、無残に崩れ去ったあのビルである。1937年創業者ジョン・ロックフェラーは97歳で大往生していた。目標だと公言していた100歳には僅かに及ばなかった。遺産を調べると大暴落の時に安く手に入れた優良株を高値で売りさばき損失分をそっくり取り戻していた。亡くなる前病床のロックフェラーを自動車王フォードが見舞った。「さらばだ天国で会おう」と声をかけたロックフェラーにフォードはこう返したという「あなたが天国に行けるならね」

アメリカから起こった恐慌の波は瞬く間にヨーロッパをのみ込んだ。そして日本にも押し寄せた。資本主義への幻滅が広がっていた。労働者たちは「ファシズムや社会主義の方がましだ」と叫んだ。イタリアやドイツ、日本では恐慌を抜け出そうとしてファシズム、軍国主義が台頭。資源と市場を求めて領土拡大に進んでいく。世界は一触即発となった。アメリカの若者が戦場へ向かう。アメリカは揺らぎ始めた資本主義をファシズムそして社会主義から守り抜く長い闘いを始める事になる。