1月5日 囲碁い(1)ご(5)の日



1月5日 今日は 「囲碁い(1)ご(5)の日」


囲碁に由来する慣用表現

傍目八目・岡目八目(おかめ はちもく)そばで見ていると冷静だから対局者の見落としている手も見え、八目ぐらい強く見える意から、当事者よりも第三者の方がかえって物事の真実や得失がよく分かる例え。

一目置く(いちもく おく)棋力に明らかに差のある者どうしが対局する場合、弱い方が先に石を置いてから始めることから、相手を自分より優れていると見なして敬意を表すること。その強調形の『一目も二目も置く』が使われることもある。
なお、ハンデ付で対局する「置き碁」については、2目以上を置く場合をそのように呼ぶことが多く、1目を置く(黒で先手し、コミを出さずに対局する)場合については、一般に「先(せん)」という呼び方が用いられる。



下手を打つ(へたをうつ)良くない意思決定をして失敗すること。

手を打つ(てをうつ)、先手を打つ(せんてをうつ)(先に)手段を講じること。

駄目(だめ)自分の地にも相手の地にもならない目の意から、転じて、役に立たないこと、また、そのさま。



駄目押し(だめおし)終局後、計算しやすいように駄目に石を置いてふさぐこと。転じて、念を入れて確かめること。また、既に勝利を得るだけの点を取っていながら、更に追加点を入れることにもいう。

八百長(やおちょう)江戸時代末期、八百屋の長兵衛、通称八百長なる人物が、よく相撲の親方と碁を打ち、相手に勝てる腕前がありながら、常に一勝一敗になるように細工してご機嫌を取ったところから、相撲その他の競技において、あらかじめ対戦者と示し合わせておき、表面上真剣に勝負しているかのように見せかけることをいう。



布石(ふせき)序盤、戦いが起こるまでの石の配置。転じて、将来のためにあらかじめ用意しておくこと。また、その用意。

定石(じょうせき)布石の段階で双方が最善手を打つことでできる決まった石の配置。転じて、物事に対するお決まりのやり方。


捨て石、捨石(すていし)対局の中で、不要になった石や助けることの難しい石をあえて相手に取らせること。転じて、一部分をあえて犠牲にすることで全体としての利益を得ること。

死活(しかつ)、死活問題(しかつもんだい)石の生き死にのこと。また、それを詰碁の問題にしたもの。転じて、商売などで、生きるか死ぬかという問題ごとにも用いられる。

大局観(たいきょくかん)的確な形勢判断を行う能力・感覚のこと。転じて、物事の全体像(俯瞰像)をつかむ能力のこと。

目算(もくさん)自分と相手の地を数えて形勢判断すること。転じて、目論見や見込み、計画(を立てること)を指す。



本因坊 秀策(ほんいんぼう しゅうさく、文政12年5月5日(1829年6月6日) - 文久2年8月10日(1862年9月3日))
江戸時代の囲碁棋士。備後国因島(現・広島県尾道市因島外浦町)出身
棋力のみならず極めて人格に優れ、本因坊道策(前聖)本因坊丈和(後聖)に並び称され、後の囲碁ファンに与えた影響は多大である。江戸時代までは棋聖と呼ばれていたのは道策と本因坊丈和の2人であったが、明治以降から秀策の人気が高まり、丈和に代わって秀策が棋聖と呼ばれるようになった。名人になった事はないが、史上最強棋士の候補としてあげる声も多い。400局ほどの棋譜が秀策のものとして伝えられており、1900年(明治33年)に石谷広策によって『敲玉余韵』としてまとめられた。

また漫画『ヒカルの碁』では、主人公の進藤ヒカルに取り憑いた平安の天才棋士・藤原佐為の霊が、ヒカルの以前に取り憑いていた人物として登場する。このため同作品のヒットに伴う「囲碁ブーム」とともに、子供たちにも「囲碁史上最強の人物」として親しまれることになった。 広島県三原市の糸碕神社には江戸時代に秀策の生涯を記念して建立され、石碑が現在も残る(「ヒカルの碁」にも登場する)。また因島にある秀策の生家は、現在「本因坊秀策囲碁記念館」となっている。因島の所属する尾道市は、この縁で囲碁を「市技」に指定している。
2004年(平成16年)、第一回囲碁殿堂に徳川家康、本因坊算砂、本因坊道策と並んで顕彰された。
秀策のコスミ

黒1・3・5の手で向きの異なる小目を連打する布石。多くの場合黒7手目のコスミまでを「秀策流」と称する。この手は秀策の創案ではないが、大いに活用して好成績を挙げたところから「秀策のコスミ」と呼ばれる。秀策は、「碁盤の広さが変わらぬ限り、このコスミが悪手とされることはあるまい」と語ったと伝えられる。先番でがっちり勝とうとする戦略であり、コミ碁である現代ではやや堅すぎる面はあるが、7手目をコスミからハサミに変えるなどアレンジを加えて現代でも時に打たれる布石。
耳赤の一局
右下の大斜定石で秀策が誤り、井上幻庵因碩の繰り出した秘手もあって秀策は劣勢に陥った。幻庵は自在に打ち回したが、126手目のトビ(白△)が緩手。これに対して秀策の打った黒127手目(図の黒▲)が「耳赤(みみあか)の一手」として現代に語り伝えられる妙手であった。この手を打つ直前までは井上の優位だったが、この手によって形勢は急接近したとされる。上辺の模様を拡大し、右辺の白の厚みを消し、下辺の弱石に間接的に助けを送り、左辺の打ち込みを狙う一石四鳥の手である。
対局を横で見ていたある医師はこの様子を見て、「これは秀策の勝ちだ」と断定した。周りの者が何故かと尋ねところ、「碁の内容はよく判らないが、先ほどの一手が打たれた時に井上先生の耳が赤くなった。動揺し、自信を失った証拠であり、これでは勝ち目はないだろう」と述べた。耳赤の一手という名は、このエピソードに由来する。また、耳赤の一手もさることながら、全局を通した井上幻庵因碩の打ち回しに対しても評価が高い。