簿記の原点である福澤諭吉の訳本「帳合之法」が1873年2月10日に慶應義塾出版局から発行されたことにちなんで、全国経理教育協会(旧・全国経理学校協会)が2004年に制定。
福澤 諭吉(天保5年12月12日明治34年2月3日)
日本の武士(中津藩士のち旗本、立身新流免許皆伝で居合の達人)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。

帳合之法, 4巻 / 福澤諭吉譯
原書 “Bryant & Stratton's Common School Book-keeping” の全訳
名実ともに、日本で最初に出版された西洋式簿記書。
慶應義塾出版局より、初編:明治6年(1873)6月、二編:明治7年(1874)6月に 出版
簿記(bookkeeping)
ある経済主体が経済取引によりもたらされる資産・負債・純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用を記録すること。「お金やものの出入りを記録するための方法」。今日では、最も一般的な簿記である「複式の商業簿記」を指して単に「簿記」と称することが多い。
歴史

ローマ時代の古代彫刻の中に商業帳簿が彫られていることが確認されており、その歴史は古代へさかのぼると推察されている。ローマの他、ギリシャ・バビロニア・アッシリア・エジプトなどでも古代の時点で簿記が存在していたことが推定されている。しかし、その頃の簿記は、まだ単式簿記であった。(倉庫に入っている財産について、その一つ一つを書き出した財産目録をつくるのが最初。これを倉庫会計という)


当時のイタリアでは、前期的商業資本の台頭に伴い、商品生産・商品取引が発展しつつあった。そのような経済状況の中で、それまで普及していた債権・債務の記帳法(擬人法)は継承しながら、商品勘定(口別商品勘定)などの物的勘定、資本勘定及び名目勘定(損益勘定)を導入して、組織的簿記が完成された。
現在では、単に「簿記」という場合、「複式簿記」を指すのが一般的。複式簿記においては、たとえば財貨で物品を購入した場合、物品を得たという事実と財貨を失ったという、取引における2側面を遺漏なく記録する。ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、「簿記こそ、人間の精神が生んだ最も美しいものの1つである」と述べている。
日本では、1873年(明治6年)6月に福澤諭吉が日本初の簿記書である『帳合の法』初編を出版したのに続き、10月には加藤斌の『商家必用』、12月に大蔵省の『銀行簿記精法』と、西洋式簿記書が相次いで刊行され、洋式簿記の導入が始まる。
簿記から会計へ
会計とは、財産の状態をフローとストックの面で管理すること。
これを行わないと儲かっているのか損をしているのかさえ把握できない。
商品が売れた代金も、どこからか借りてきた借金も、出所が違うだけで、手に乗れば同じお金。
同じお金なので、どちらの場合も、給料の支払いや仕入れをするのに使うことができる。
しかし、この後に起きること、やらなくてはならないことは、お金の出所によって全く違ってくる。
借金には利子がつくし期限までに返済が必要。このため今どれだけお金があるかを知るだけでなく、その出所がどこなのかも把握しておく必要がある。
今でも、会計には、大きく分けて2つの役割がある。
一つは、主として組織内で、組織の状態を財産面から捉えて、組織運営のための「目」の役割を担うこと。倉庫会計以来、会計が担ってきた財産管理の役割であり、管理会計と言われる。
もう一つは、組織の外に対して、組織の状態を価値の面から要約して伝える、情報提供としての「口」の役割を担うこと。借方貸方会計以来の、出資者へ向けた価値計算会計。
これは、商法や証券取引法でルールづけられた情報提供としての会計であり、そこでは貸借対照表と損益計算書、キャッシュフロー計算書などの財務諸表が主役をつとめる。
商業会計と工業会計
商業とは、金銭で商品を買い、そのあと商品を販売してお金を得ること。この売り買いの差額が利益の元となる。借方貸方会計を生んだ東方貿易では1回の航海ごとに清算を行っていたが、陸の上に店を構える普通の商店だと日々様々な商品を売買する。「一回の航海」のような区切りがない。しかし区切りをつけて清算してみないと、儲かっているのか損をしているのかも分からない。このため一定の期間(たとえば1年)を定めて会計年度とした。
そして時代が進んで、工業の時代になると、さらに新しい会計が必要になってくる。
工場の設備は、設置するのに大きな費用がかかるが、一旦設置すればしばらくの間稼働し続ける。しかも設備によって、その寿命も異なる。1会計年度で何もかも清算という訳にはいかず、複数年度にまたいで、設備に使った資金は製品を作り続けていくなかで少しずつ回収していくのだ、と考えた方がよいこととなる。つまり費用は一度にどかんと大きく、売上は小さいがずっと続くことになる。儲かっているのかどうか知るために、工場設置にかかった一時的かつ大きな費用と、長期的かつ小さな売上を、うまく結び付けてやる必要がある。ここに費用を製品1個当たりに割りあてる原価計算が生まれ、また設備の価値が減っていく部分を生産物やサービスの価値のなかから生産費の一部として回収するという減価償却という考えが必要となった。
そのうちその会社の安全性や投資効率といった財政状態は貸借対照表を通じて、収益力、成長性といった経営成績は損益計算書を通じて開示される。 そしてさらに会社の資金に関する情報を補完するものとしてキャッシュフロー計算書がある。この貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書の三つが財務諸表を構成する最も重要な要素として、まとめて財務三表と呼ばれる。 財務諸表のなかで最も重要なもの 財務諸表(決算書)は前述のとおり、貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書、さらに株主資本等変動計算書、連結包括利益計算書により構成されるが、その中でも特に重要なのが損益計算書と貸借対照表。 さらに今日の企業会計は期間損益計算をその目的としているため、損益計算書が最重要となる。また会社は利益をあげることを目的として事業活動を行なっている集団であり、その意味からも会社の財政状態より経営成績のほうが優先される。 一方、その会社の健全性や将来性等の観点からその会社の評価をする上で重要となるのが貸借対照表。貸借対照表には、その会社の設立から現在に至るまでのすべての経営成績、事業方針等が反映されている。 |