2月29日 辰野金吾設計による【日本銀行本店】竣工

2月29日 1896年の今日この日 
辰野金吾設計による日本銀行本店が竣工



辰野金吾


 (1854年10月13日嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日) 日本の建築家。
工部大学校(のちの帝国大学工科大学、現在の東京大学工学部)卒業。工学博士、帝国大学工科大学学長、建築学会会長。設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。帝国大学では後進の指導にも励み、伊東忠太長野宇平治武田五一中條精一郎塚本靖野口孫市、大沢三之助、関野貞らの人材を輩出した。 帝国大学総長渡邉洪基(渡辺洪基) の意向を受け、工手学校 (工学院大学) の創立(明治20年)を推進し、運営にも尽力した。肥前国(現在の佐賀県唐津藩出身。唐津では、のちに首相となる高橋是清に英語を学んだ。さらに高橋の後を追って上京し、工学寮に入学している。東京駅の設計を任された時、万歳をした。万歳をしたのは生涯で、日露戦争で日本が勝利した時と、臨終の床の3回だけであり、「辰野金吾の三大バンザイ伝説」として後世に伝わっている(美の巨人たちテレビ東京系列〉、2015年2月28日放送より)。

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